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2月11日は
建国記念の日でした。
よく建国記念日と間違えられているのですが、正しいのは
建国記念の日ですよ!!
“の”の謎はこちらをご覧ください↓↓
建国記念の日と建国記念日の違いってなに?
建国記念の日って結局なんのお祝いなの?
ざっくりした説明だと、
神武天皇が即位した日を建国された日としてお祝いしたもので、
以前は
紀元節と言われていた。
んん?ここで分からない単語が二つ出てきたぞ??
・神武天皇ってどんな人だったの?
・紀元節って日から何で建国記念の日になったの?
神武天皇ってどんな人だったの?
この神武天皇とは
日本の初代天皇です。
これは、「日本書紀」や「古事記」に記載されており、内容が神話的であったため、
神武天皇が実在していたかも含めて、歴史学では忠実な事実だとは考えられていないのです。
つまり神武天皇が本当にいたかどうかは分からないって事ですよね。
紀元節からなんで建国記念の日って名前が変わったの?
ではここからは流れで追っていきましょう!!
①「日本書記」によると神武天皇が即位した日は
紀元前660年1月1日
②明治5年に神武天皇が即位した日を「紀元」とする事にして
旧暦の1月1日である
新暦の1月29日を神武天皇が即位した日にあたるとして、祝日にする事にした。
※この翌年明治5年12月2日(1872年12月31日)の翌日から明治6年1月1日とする
旧暦から新暦へと変わるタイミングだった。
③明治6年1月29日神武天皇即位を祝う遥拝式が各地で行われた。
この日を
「紀元節」と呼ぶことに決める。
④しかし、この旧暦の1月1日である新暦1月29日は神武天皇が即位した日でもありますが、
旧正月でもあるんですよね。
そのため国民の中でこの紀元節は旧正月を祝う為のものなんだ!!と誤解が広がっていきます。
その為政府は、紀元節とは神武天皇が即位したから祝日なんだよ。という理解が広まらないのでは?
と考えた。
さらに!!翌日である1月30日は孝明天皇の命日もあったのでこのままだと不都合だなぁ…。
と、考えた政府は明治6年に新たに神武天皇即位日(紀元節)を2月11日とした。
↑この2月11日はどっから出た日にちなの!?というと、文部省の天文局が算出して
暦学者の塚本明毅が審査して決定したが、その具体的な算出方法は明らかになっていない。
日本書記に残る記述を再検討し、現代の天文知識に基づき当時の月齢を算出した結果が
2月11日なのだ!!!
⑤ そこから時は流れ、第二次世界大戦後の昭和22年に日本国憲法の中には紀元節が
祝日としてあったが、連合国軍により削除された。
⑥ そこから明治27年に日本が独立を回復をした事から、紀元節の復活運動が起る。
⑦ 昭和33年に国会へ議案が提出され、その中で「紀元節」の復活に
賛否両論分かれる
※上位の通り科学的根拠に欠ける為
⑧度重なる廃案、再提案を経て昭和41年に
「建国をしのび、国を愛する心を養う。」という
趣旨の
「建国記念の日」を定め、国民の祝日とした。
はーー超長い!!!
しかし、建国記念の日にはこんないろいろな歴史があるなんて知らなかったです。
他の祝日にも色んな歴史や意味があるのかも知れませんね。
これを知ると建国記念の日がただのお休みの日だと思っていた時とは
感じ方が違うかもしれませんね。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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2014-02-13 00:01
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